(注)本文中における筆者の一人称は「僕」「おれ」あるいは「UG」と非統一的である。それぞれの人称代名詞は微妙に異なる性格を帯びている。というのも、僕の場合は会う人や媒介する場に応じて一人称が変わるし、言葉遣いも変わるからだ。それぞれの代名詞は場の公共性に応じて「おれ」<「僕」<「私」というように拡大する。とはいえ、日用語の範疇でいえば、一人称が変わるのは会合の性格によってドレスコードが違うのと同じことで、その時その場にいちばんふさわしいと思われるものを自分の趣味で選んでいるに過ぎない(英語では全て”I”であり、したがって人格は単一である)。ついでに付言しとくと、「おれ」と「僕」に野郎性が含意されていることにあまり納得がいっていないのだが、悲しいかな、これらの代名詞(とくに前者)が身体にもっとも馴染んでしまっている。
ちなみに「UG」という代名詞が一人称としてどれほど公的かということはあまり考えたことがない。たとえば、矢沢永吉が商業的な打診を受けて「僕はいいけど矢沢的にはどうかな?」と聞き返すというエピソードを耳にしたことがあるが、あるいはその用法に近いかもしれない。ただ、僕が自分を名指して「UG」と言う時は、だいたいsumahama?としての活動とUG Noodleとしての活動との区別を強調する意味合いで使っている場合が多い。したがって、あえてわざわざ自分の商品性あるいは自我を強調しているつもりはない。ミュージシャンであるらしい自分を客体として名指したい時に敢えて使っている。この場合、UGに人格はない。
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