文章と先生

前回引っ越した事を書いた。

あれから4週間経つが、まだインターネットの工事日程が決まらず、今回もスマートフォンから文章を打っている。

因みに自分はスマートフォンで文章を書くのが非常に苦手で、今回もここまで打つのに3度やり直している。

文章を書くならパソコンで書くのが1番好きだ。というのも頭に浮かんだ内容をほぼリアルタイムで書く事が出来るからだ。

今さっきの「出来るからだ」と変換しようものなら「出来る身体」と変換されてしまうあたりで、集中力が削がれてどんどん思考が脱線してしまう。

手書きも嫌いではないが、思考してからほんの僅かなタイムラグが生じてしまう。とは言えスマートフォン入力よりかは、手書きの方が百倍良い。

と、不満染みた事をぬかしているが、得意不得意はあるもののそれぞれのツールによって文体が変わるので、実はこれはこれで面白いとも感じている。

以前、oono yuuki君がアイデア浮かんでアウトプットする時に、たまたま手に取ったギターの種類(例えば、ストラトかレスポールか)によっても全然曲が変わるっていってたけど、そんな感じだろうか。

文章といえば、6年ほど前、SF作家の眉村卓さんのエッセイ講座を受けていた時期があった。

基本的には月に1回、ワードで縦書き10頁くらいのエッセイを書いて持っていって、まず生徒が感想を言っていって、その後に先生がそれぞれの批評しながら物語の構築について教えてくれるといった感じだった。

80歳にもかかわらず、先生の頭の回転の早さと洞察力は流石だった。

あと先生の物語の作り方について知れたのも大きかった。

結局、先生に教えてもらった期間は半年くらいだったけど、あんなに面白い授業はこれまで経験した事なかったし、これからも経験する事はないだろう。

因みに例えば物語で宇宙船を扱うのであれば、地球からどれくらいの距離をどれくらいのスピードで、どれくらいの期間飛んでいるのか? 何人のっているのか? 全員分の往復分の食料と燃料を入れるにはこれくらいのサイズの宇宙船になるけど実現出来るの? っていうのに対して全て辻褄が合うように作らなければならないらしい。

それ聞いて、SF作家ってとんでもねえな、と思った。

先生の講座は辞めた、というより、一度自分の作品作りに集中したいという思いから、一旦中断、という感じだったのだが、昨年それは叶わなくなってしまった。

だけど、最後に先生に神戸駅前のエスカレーターで「また必ず戻ってきます」と約束したので、いつかまた先生の授業を受けたいと思っている。

ツクルヤケン